他者貢献と回復

先日はマズローの欲求五段階説のことを書きました。
その人の持つ価値観により、勇気が必要とされるような場面での行動が異なってくるといった内容です。

これはあがり症の方々にとっては本質的な意味を持ちます。
何故なら、そういった場面で立ち向かうか、あるいはそこから回避するかは、回復の如何に直結するからです。

そこで、今日も価値観についての話をします。

 

「日本で大切にしたい会社」(坂本光司著)という本があります。
そこに日本理化学工業という会社のことが書かれています。概略を書きます。

この会社はチョークを製造している会社で設立は昭和12年です。
昭和35年に知的障害者の方を2名雇用しました。

現在では障害者雇用は広く世に知られ促進されていますが、当時はそんな言葉さえなかったような時代です。障害者の方々は、一般市民とは接点の少ない世界にいました。
この会社が障害者を雇用し始めたいきさつは以下のようなものです。

ある日、この会社に養護学校の先生が来ました。
会社の専務に訴えます。
自分の所にいる生徒たちは、卒業してこのまま仕事がみつからなければ一生を施設で暮らすことになる。どうかこの子たちに働くという経験をさせてもらえないか、と。

専務は、何度となく足を運ぶその教師の熱意にほだされ、現場で一定期間の職場体験実習の機会を設けることに同意しました。かわいそうだから、体験する機会だけでも与えようと考えたのです。

その職場体験の実習最終日のことです。
社員たちが集まって専務に訴えます。

彼らを雇ってほしい、私達が必ず面倒をみるからと。
社員たちは、この知的障害者の子たちが、休み時間もいとわず一途なまでに仕事に取り組むその姿勢に感銘を受けたのです。

そうしてこの会社での障害者雇用が始まりました。

専務は彼らを雇って日が経っていく中であることに気付きました。
それは、彼らに冗談でも仕事を辞めるようなことを話したのなら異常なまでに怯えるのです。
専務は不思議でなりませんでした。

ある日、知り合いの禅僧にそのことをふと話しました。
その禅僧は言いました。

「あたりまえでしょう」
続けて言います。
「人間の究極の幸せは、人に愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされることなのです。そのうちの愛されること以外は働くことを通して得られるのです」と。

障害者の方々は、その障害ゆえに他者からしてもらう、あるいは与えられがちになります。
それが働くことを通して、人にしてもらう立場から人に貢献する立場へと変わるのです。

 

私達にとっては働くことは当たり前のことかもしれません。
しかし、そういった立場に立った経験のない彼ら彼女らにとってはその喜びはどれほどのものでしょう。

私は以前障害者施設にいた時、そこにいる知的障害者の方々が自分よりより重度の障害を持つ方のために、何かしてあげよう、手伝ってあげようといった行動をする所を何度も何度も見てきました。

人間は本能的に他者貢献の心性を持っているのです。

あがり症の方は自分への囚われの中に生きています。
症状が重い時は他者への視点が欠けています。自分のことばかりにエネルギーを費やし他者のことを見る余裕がなくなっています。

私達は先に挙げた彼ら彼女らの他者貢献への姿勢に学ぶ必要があります。
人としての原点に立ち返る必要があります。
そこにあがり症の回復への鍵があります。

あがり症の方が人前で話すような恐怖場面に際し、その場にいる人たちに伝えるということに集中できた時、つまり自分のことを考えなければ考えないことができた時ほど、逆説的にあがることから解放されていくでしょう。

 

褒められ上手は褒め上手

思考の偏りとして選択的抽出と呼ばれるものがあります。
これは物事や出来事の中で、マイナス面をピックアップして捉えることを言います。

特にあがり症の方はこれが天才的なまでに上手いです。
やれ、あそこで言葉が突っかえた、やれ、あそこで声がうわずった、あの時顔がカーッと火照ってきっと緊張しているのがばれたに違いない、等々。

ハッキリ言って誰もそんなところまで気づいちゃいないし、ましてやあなたのことにそこまで関心ないよといった所まで、あぁじゃないかこうじゃないかと憶測するのです。

ですから、あがり症の方は褒められることへの対応が基本的に不得手です。
自分に対しては負の側面から見ることが習慣づいていますので、褒められると動揺するんですね。

いや、滅相もない、そんなことないですよ、とか、
私なんて全然、とか、一生懸命に否定します。

もう少し褒められ上手になりませんか?
具体的には、褒められた時に「ありがとう」とか「そうなんです」、「でしょ?」などといったように感謝や受け入れるコメントをすることです。

褒められ上手になることは二つの意味があります。
一つは自己肯定感の醸成。

あがり症は自己否定の病とも言えます。
あがる自分を受け入れられずに自分を否定し続けることで次第に自信を喪失していきます。
やがて、おどおどして卑屈な人間が出来上がっていきます。

必要なことは自己肯定感の醸成なのです。自分の良い所を受け入れ認めていくことが、乾いた心に水をあげるように作用していくのです。

そして二つ目の意味はプラス視点の醸成です。
物事のマイナス面ばかりを選択抽出してばかりいると自分の心を蝕んでいきます。
そしてそんな自分を憐れみ、他者への視点が弱くなっていきます。

皆さんの身近に褒め上手の人はいませんか?
その人は何となくイキイキと輝いていませんか?
褒め上手の人は他者へのプラス視点を持つだけでなく、自分に対してのプラス視点も持っています。

そうして自他共に心の栄養を与えているんですね。
そうして自分を取り巻く世界に良循環をもたらしていくのです。

褒められ上手は褒め上手。
それは決して人を羨むのではなく、人の良い所を見つけギフトとして相手にプレゼントすること。
それは自分の良い所を受け入れ、自分の乾いた心に水をあげること。

人生に遅いということは決してありません。
全ては今この時から始められるのです。

壁の高さに逡巡する必要はありません。
全ては小さな一歩から始まります。

形からでいいのです。
まずは褒められた時、「ありがとう」、そう言ってみませんか?