あがり症(社会不安障害、対人恐怖症)の方は、緊張することが想定される場面が近づいてくると何らかの対処行動を取ります。

これは危険を察知する人間の特性としてごく自然なことです。
だからこそ不安というものがあるのです。

不安を感じない人がいるとしたらどうでしょうか。

嵐が来ているのに外に出る。
テストが迫っているのに勉強しない。
インフルエンザに罹った人に近づく。

不安がない人は、自己の生存を脅かすような事態のリスクを高めます。
ですから、あがり症の人が、緊張場面に備えるのは、ある種当然のことなのです。

これは大事な場面だし、うまくやらなきゃならない。
備える必要があるのだと。

ここまでは良いでしょう。
ただ、あがり症の方は二つの点で過ちを犯します。

一つは過剰なまでに危険と捉えるため、対処法も過剰になりがちなこと。
そして、もう一つは対処法そのものが不適切であること。

基本的に、あがり症の方が取る対処法はほぼ過ちを犯します。
良かれと思ってやっていることがほとんどの場合、うまくいかないんですね。

まぁ、だからこそあがり症になってしまって、だからこそあがり症であり続けているのかもしれません。

例を挙げましょう。

・赤面がばれないように化粧を濃くする。タートルネックの服を着る
・緊張してこわばった表情がバレないようにマスクをする
・目を合わせない
・あがらない練習をする
・緊張や不安・恐怖から目を背ける
・気持ちを強く持つ
・アルコールを飲む
・話す言葉を一言一句準備する
・飲み会に出ない
・人前で話す機会のある場に参加しない
・家にこもる

これらは結果として成功することもあるかもしれません。
しかし、それは本質的な成功ではなく、一時しのぎにすぎません。

なぜ、これらが本質的な成功ではなく誤った対処法と言えるのか?

それは、一つには、緊張することに意識を向けすぎるあまりに、却って緊張や恐怖を増してしまうということ。

そしてもう一つは、恐怖場面に直面せず、時に回避するため、そうせざるを得ないほどの大変な状況である事を自分自身に刷り込ませ、ますます恐怖心や苦手意識を高めてしまうことです。

それでも短期的には成功なのです。
人は一度成功した対処法はもう一度やろうとします。
やがてその方法に依存していきます。

いわば、麻薬なのです。
安堵感と後悔の入り混じった薬。
やがて麻薬への依存から抜けられなくなり、副作用に苦しんでいきます。

ですから、こう言っちゃあなんですが、本質的な対処法として最も優れているのはあがりには対処しないことなのです。

あがり症を治したいならあがりには対処しない。

まるで禅問答ですね。
ハッキリ言ってそんなことができたら苦労しませんよね。

緊張場面を察知すると、本能的に条件反射で備えようとするのがあがり症の人なのです。意識や感情は勝手に対処しようとします。

じゃあ、どうすれば良いか?

意識や感情は勝手になってしまったとしても、誤った行動を取らないことはできるはずです。

いわばあがりを持ちこたえる。
あがりを抱える。
あがりはほっておく。

え~っ!?そんなの耐えられないと思うかもしれません。
だから何かせずにはいられないと。

けれど、予言します。
何かをすればするほどあがるでしょう。

あがり症とはあがらないようにすればするほどかえってあがってしまう病です。そういう皮肉なまでの悪循環の仕組みなのです。

だから、必要なことは、あがることに対してなんとかしようとするのではなく、上りはほっておいて、その場の目的に集中して行動することなのです。

その場の目的に集中して行動することとは何か?

例えば、人に話すのなら、例えあがってしまっても伝えるという目的に集中すること。

人との関わりが必要なら、例え緊張したとしても緊張するがままに人と話すこと。しんどいままに。

あがり症の方はあがるざるを得ません。
あがりを何とかしようというのは、不可能を可能にしようという挑戦です。

あがってはならない。
そのあり様は、いわば、悲しいのを悲しいなんて思ってはいけないとし、腹が立つのを腹が立っちゃいけないとし、楽しいのを楽しく感じてはならないとするかのような。

いったい、何をやっているんでしょうか?
それをなんとかしようとするからあがり続けるのです。
決して解決することのない思考ゲームを永遠にやっているかのようです。

だから、あがらないための手段~話し方、言葉、姿勢、見た目~を良くしようという手段本位ではなく、必要なこと~中身を伝えること、分かりやすく伝えること、相手のことに集中すること~への目的本位に生きることなのです。

100%緊張しなくなるということはあり得ません。
それは不可能です。

あがり症の回復像とは、全くあがらなくなるということではなく、あがることもあればあがらないこともある。

そして例えあがったとしても、あがることを受け入れて今なすべき事に集中して取り組むことを続けていけば、やがてあがりへの意識が薄れていき、症状が軽くなっていく、あるいはあがることを忘れるようになる。

それが、あがり症の克服像です。