最も恐れることにこそ最も可能性がある
2か月ほど前のあがり症講座実践編でのこと。
実践編では、実際に人前に立ってもらって話してもらいます。
ある方は文章を読み上げるのが苦手だと言いました。
実際に、書いてあるものを読み上げることが苦手な人は多いです。
そこで、その辺にあった適当な文章をみんなの前で読み上げてもらいました。
その人が人生で最も恐れる最も苦痛なシーンです。
読み上げる前に私はあることを指示します。
あることとは何か?
企業秘密ですが、いいでしょう(ん?企業秘密でないか?)
ぶっちゃけ言いますと、煽るのです。
「あがれ~、あがれ~、もっとあがれ~」と。
なんじゃそりゃ?でその方は戸惑いましたが、私はいたって知らん顔。
まるで冷酷なサディストのように平気な顔して指示します。
そしてその方は、読み上げていきました・・・
どうなったか?
淡々と読み上げていき、終わってその人は言いました。
あがれと言われてもあがれなかった。
余計あがれなくなって戸惑ったと。
この方は、あっさりとうまくいったレアな例ですが、これを契機に何度か私の講座に出ているうちに長年の悩みが解消したとのことでした。
これは一例です。
うまくいかない人もいるのかもしれません。
ただ、大事なことは、これまでのあなたの取り組みでうまくいきましたか?ということです。
同じやり方には同じ結果が待っています。
やり方を変えていく必要があるのです。
そしてその答えは、時にあなたのやってきたことと真逆にあるのです。
あがり症の克服は薬でも話し方でもなくあなたの心の中にある
動画でもしばしば言及していますが、結局のところ、あがり症とは何であるか最近つくづく思うのですが、本当に幻影を作り出しているように感じます。
ハッキリ言って、あがり症の方がどうしようこうしようと考えれば考えるほど、克服から遠ざかる。
なぜなら、まるで映写機に繋がる電源のように、考えれば考えるほどあがり幻影を映し続けるから。
あがり症の方ではない人は、そこに執着してエネルギーを注がないから、たとえ緊張したとしても緊張し続けることができないんですね。
そもそも論として、あがり症の方は完全に不安と恐怖がないことを本人も知らずして願っているのかもしれませんが、それは不可能を可能にしようとしている行為でしょう。
残念ながらその願いはかなうことはないでしょう。
ところが、その願いが叶わない、不安と恐怖をなくすことは不可能なんだと現実に生き始めた時、不安と恐怖が軽減していく。
正に、逆接の病です。
だから言うのです。
あがってもあがらなくてもどっちでもいい、とにかく行動していく。
たとえあがってがっかりしても、がっかりしながら行動し続ける。
あがりまくりながら行動していく中で、あがりが流れていく。
恐怖を目の前にしてためらいつづける限りは、克服はありません。
そして、それはほかの誰でもない、あなたが選んでいることなのです。
あなたは、他者の視線を浴びる苦痛と、回避し続ける苦悩との二者選択を天秤にかけ、今の行動を選んでいるのです。
他の道があるのでは?と。
そしてそれをこれまでもこれからも続けてきたからこその今なのです。
それを続けていくかどうかはあなたが決めることです。
だから、実はあがり症が治るか否かはあなたが選べるのです。
私は確信しています。
いかなる人も今よりより良く生きられることを。
そして人生は、あがり症であってもなくても、いかなる状況に置かれたとしても、そこからどうするかは自分で決められる。
本当はあなたは、世界でも最も不幸なあがり症者なのではない、どうして私だけが?と苦悩し続ける人でもない、ダメな人間でもない、自分の人生を変えられる人なんです。
人生の主体者であり、人生の主人公なんです。
人は変わるんです。
人生は変えられるんです。
不可能か可能かはあなたの心の中にあるのです。