自分以外の他者はスーパーマン

「神経症者に顕著な三番目の特徴は、潜在的に恐れとというものが感情の底流にあって、神経症者のすべての行動を左右している、ということである。神経症者は人生の意味を理解していないので、自分が解決すべき問題を実際より以上に誇張してむずかしいと思い込んでしまうし、人生の正常な接触から孤立しているので、自分の価値と能力を正しく把握することができなくなる。神経症者は、どの問題も克服できないものであるかのようにふるまう。いつも自分自身と周囲の人間とを比較する。が、彼らの問題を自分の身に置き換えて考えたことが一度もないので、彼らを理解することができない。彼らのうわべだけの落ち着きと安心感にだまされて、自分以外は皆、スーパーマンだと思い込み、それに比べると自分は無能でつまらない落ちこぼれだ、と信じ込んでしまう。

平均的な神経症者は、自分を誰からも認められない神様だと《信じ》、まるで勇気をくじかれた虫けら《であるかのようにふるまう》。こういう態度をすることによって、自分の無価値観を強化し、客観的な問題において自分の真の力量を試すことを恐れるようになる。神経症者が恐れている問題は一体何かを特定するためには、もし今すぐ神経症が治ったら何をするかを尋ねてみるとよい。「もし人が集まる場に出たときに、こんなにひどい頭痛がしなければ、今すぐ結婚するのだけれど!」という神経症者の答えからは、彼が性的な責任を無意識のうちに恐れていることがうかがえる。「僕は疑い深くて優柔不断なのが悩みだが、これさえなければ本屋を始めるのだが!」と答える神経症者は、自立した仕事をすることを恐れていることを表している。神経症者のための十戒の三番目の戒めはこうである。安全が第一である。神経症という煙幕の後ろに隠れているのが安全であるならば、人前で自分の能力を試すような危険は決して冒してはならない!」

「どうすれば幸福になれるのか」W・B・ウルフ著(一光社)

今日、面談した女性が、学校に行かなかった話をしたので、私も良くさぼりましたと話したところ、佐藤さんのは違うでしょうと言いました。

その方はだいぶ勇気をくじかれていたので、勇気づける必要がありました。

そこであえて私が悲惨だったころの話をサラッとしたところ、非常に驚いていました。

そうなんですね。

神経症者(あがり症)にとっては他者は自分より小さな悩みしか持ってなく、自分の苦しみ以上のものはないと信じます。

そして、自分以外の他者をスーパーマンと思いこみます。

そして安全第一を図るために、自分の能力を試されるような危険は冒さないようにするのです。

しかし、彼はいずれ気づく事でしょう。

この世で危険から逃げられる世界などないということを。

 

取るアプローチから抱えるアプローチへ

ドキドキします。

モヤモヤします。

顔が赤くなります。

息がうまく吸えません。
声が震えます。

苦しくて
切なくて
もどかしくて。

ちなみに恋じゃありません。
恋ならいいんですけどね。

とにかく苦しい。
なので即効性を求めます。
今この苦しみを取りたい。
取ってほしい。

苦しみを取るスキルを求めます。
あの手この手を使います。
あらゆる所から方法を探して苦しみを取り除こうとします。
鎮痛剤みたいにスーッと苦しみがなくなる方法はないかと。

ところで、魔法の薬のように、あがり症の苦しみがスーッと取れた人はいるのでしょうか?

何かを得るためには何かを覚悟しなければならないのが世の条理です。
あがり症者は、まるで宝くじが当たるかのような安易な解決法を求めます。
しかし、そんな方法はこの世に果たしてあるのでしょうか?

本当に身に付けるべきことは、苦しみを取る方法ではなく、苦しみを抱える力なのです。
苦しみを抱えながらも前に進む力なのです。

あがり症の克服は取るアプローチでは決してないんですね。

抱えているうちに抱えていることを忘れるアプローチなんです。