イメージ出来たことは実現する!

先日、ブログにも書きましたが、私の元に来られた抜毛癖のある女性がいました。
無意識的に一本一本抜いていく。

きっと、我々がかゆいところをかいているような感覚なのでしょうか。
そしてふと気付くと、何十本と抜いている自分に気付くのです。

聞いていくと小さい頃からのようです。
更に詳しく聞いていくと、どうやらメンタル面の不調と症状が比例しているようです。

その日来られた時は、今までにないぐらいある部分だけ薄いというより髪がなくなっていました。見るに痛々しいです。

私は、彼女にミラクルクエスチョンをしました。
それは大体次のようなものです。

「ある晩、あなたに奇跡が起きて、
あなたの抱えている問題が全て解消されたとします。
でも、あなたは奇跡が起きたことを知りません。
目が覚めて、1日が始まります。
あなたは、どんなことで、奇跡が起きたことに気づくでしょうか?」

私は聞いてきます。
今の悩みが全て消えて解決している朝です。
今までと何が違いますか?
どうやってそれに気付きますか?
家族の様子は?
どんな会話を?
すると相手は?
そしてあなたは?

かれこれ20分以上、奇跡の一日を語っていただきました。
これまでの彼女とは違う一日です。
彼女はそれを、ありありと映像を見ているかのように語っていきました。

そして終わった時、目をキラキラさせて言いました。
「元気になりました!佐藤さんありがとうございます!」

私はこのコメントよりも彼女がありありと奇跡の一日を語っていた様子を見て、あ、これは入ったかなと思いました。

そうして今日、電話が来ました。
家族のことでトラブルがあったとの相談です。
今日中に相談したいとのことです。

私は急遽、時間をこじ開けて面談しました。
来室した彼女の様子を見て、座るか座らないかの内に私は、さも当然のように聞きました。
「この前話したやつは良くなったでしょ?」

彼女はにっこりとして返事します。
「はい!」
「奇跡が起こったんだね?」
「はい!」

う~ん、なんか別人のようです。
おどおどしていた彼女がいきいきとして活力があふれているのです。

そうして家族で起こったトラブルを元気に語っていくのです。
なんだなんだ?と思いつつ、私は彼女に話します。

このトラブルは当然に起こったものだ、と。
「?」

私は構わず続けます。
「あなたに奇跡が起こったから、それは当然に周囲に波及する。あなたの変化が周囲にも影響したのだ。」
彼女はコクっと頷きます。
「だから、今回のトラブルは良い流れの中で当然に起こったものに過ぎない」と。

そうして悩み事相談のはずなのに、最後まで元気にワイワイして、時に大笑いしながらの面談を終えました。

う~ん、ほんと何なんだろうといった感じでした。
とてもこれまでの彼女とは思えないのです。

ミラクルクエスチョン恐るべしです。
これは、あがり症の人にも是非やってみたいですね。

奇跡が起こってあがり症が治っってしまった朝、これまでと何が違っていますか?
あなたは奇跡が起こったことにどうやって気付きますか?

そうして、奇跡の一日をまるでビデオを見て思いだすかのように語ってもらうのです。

京セラの創業者であり、auの創業者であり、破綻したJALをV字回復させた、当代第一級の経営者である稲森和夫氏はその著書で言っています。

「すみずみまで明瞭にイメージ出来たことは間違いなく成就するのです。すなわち見えるものはできるし、見えないものはできない。したがって、こうありたいと願ったなら、あとはすさまじいばかりの強さでその思いを凝縮して、強烈な願望へと高め、成功のイメージが克明に目の前に「見える」ところまで持っていくことが大切になってきます。」

「生き方」 -稲森和夫-

皆さんも、是非良き妄想をしてみてはいかがでしょうか?

 

ベストを尽くしている家族

ある女性が来られました。
就職に関するご相談です。

能力的には高いものを持っているものの、年齢、勤務時間等の希望する諸条件により、ちょっと苦戦しています。
希望する求人に何件か応募したものの、書類選考だけで落ちてしまうという、いわゆるお祈りメールが戻ってくることが何回か続き落ち込み気味です。

私は、その気持ちにケアはするものの、具体的な提案や方向性等などについて相談していきました。
実際になすべきことと、今後どういう動きをしていくかが見えてきたためか、その女性は幾分落ち着いてきました。

そして面談の最後の方で、あの~、とモジモジして聞いてきます。
話を伺ってみると、次のようなものでした。

息子さんが今年の春、大学を出たものの就職せずにバイトをしている。
500万円の奨学金が残っているのに在学中も就活しなかった。
何度せっついても動かない。
就職相談先に行くよう場所も情報も伝えても動かない。
家族3人で話しても動かない。
夫は、のほほんとして協力的でない。働いているだけ良いとして就職に関心がない。
夫さえ一緒に動いてくれれば何とかなると思う。
カウンセリング受けさせてほうが良いと思う。
自分のことより、子供のことで焦っている。

私はピンと来るものがあり聞きました。
息子さんは、引っ込み思案ではないですか?
彼女はそうですと言います。

更に聞きます。
消極的で?
彼女は、そうです、と。

私は彼女の反応を確かめながら、強めの語気で話していきました。

「息子さんは、今できるベストのことをしている」
「え?」
「在学中に就活しなかったということは、息子さんはこのまま社会に出てもうまくいかないと知っていたのではないでしょうか?」
「ええ、そうかもしれません」
「失敗するに違いないと」
「はい」
「ただ、そういった中でも、自分の置かれている状況は認識している」
「はい」
「奨学金のこと、働かなければならないこと」
「はい」
「お母さんが心配しているのが分かるからこそ、言われても反論せずに聞いている」
「ええ」
「普通だったら、うっせぇなぁと言って、まともに親の言うことなど聞きませんよ」
「え?そうなんですか?」
「理解しているからこそ反論もしないのです」
「・・・」
「社会に出るのがプレッシャーながらも今できそうな仕事で必死に働いているのです」
「え?」
「コンビニの夜勤ばかりで生活のリズムがと言いますが、夜勤は給料がいいです」
「あ、そうですね」
「それだけじゃない、日中の仕事よりも人との接点も少ないのです」
「あぁ・・・」
「本当だったら引きこもりになるかもしれないような精神的状態なのに、それでもこらえている」
「・・・」
「つまり彼は、一般の会社に入るための予行練習をしているのです」
「!」
「いきなり社会に出るのは怖い、だけれども置かれている状況は認識している、だからこそ彼は今自分のできるギリギリのことを必死にしているのです」
「・・・!」
「彼は、今できる自分のベストを尽くしているのです。決して怠けて就活しないわけではないのです」

彼女は目頭を抑えました。
私は続けます。

「父親のことを子供に関心がないと言いましたが、今ご主人が、のほほんとしていることでどれだけ家族が救われていることか」
「?!」
「もし、あなたと一緒に子供にプレッシャーを掛けていたら、子供はどうなるでしょう?」
「!」
「つまり、夫婦で完全にバランスが取れているのです」
「!」
「家族全員が今置かれている状況で、自分なりの役割をこなし必死にやっているのです。〇〇家は今できるベストをしているのです」

彼女は口を抑えます。
私は最後に言いました。
「今できることは、〇〇家全員が頑張っていることを認めてあげることなのです。肯定してあげることです。」と。
そしてカウンセリングは不要と伝えました。

彼女は、憑きものが取れたかのようにすっきりとしてお帰りになりました。
それぞれがダメな家族という認識から、今置かれている状況でベストを尽くしている家族へと認識が変わったのです。

現状は何一つ変わっていません。
ただ、ものの受け止め方しだいで人は幸にも不幸にもなり得るのです。