精神科病院実習最終日《精神科病院の実態》

今日は精神科病院実習の最終日でした。
今日は社会復帰病棟に入りました。

日本の長期入院患者は諸外国のそれと比べて著しく高いため、地域社会への移行が施策によって押し進められようとしています。

今回の実習もその一環での東京都が実施するものでした。
地域社会と病院との垣根を低くして移行の円滑化を図ろうとするもので、そのため地域のソーシャルワーカーが東京の結構有名な病院を含めて実習に入りました。

社会復帰病棟内の患者は、その名の通り確かに退院を目指してはいるものの、地域の受け入れ体制がまだ未整備のため、そう簡単にはいっていないようです。

そのため、社会復帰病棟の中のごく一部の方々を除いては一年以上、時に10年20年などの長期入院組となります。
実際、今回の病院の様子を見ても高齢者が多かったです。

東京の長期入院患者は約18,000人で、そのうちの約50%が60歳以上の方ですが、私が見た病棟の感じでも大体そういった感じでした。

しかも多くの方々が統合失調症患者で、発症当時の派手な陽性症状はないでしょうから、皆さんおとなしくて一見すると特別養護老人ホームと似ている感じです。

私が以前、精神保健福祉士という資格を取った時の教科書を読む限りでは、精神病院の閉鎖病棟とか保護室ってグロテスクでやばい所という先入観がありましたが、全くそんなことはありませんでした。

患者の権利を守るため、様々なことを思考錯誤し、様々な取り組みを行い、時に病院側にとっては一銭にもならない持ち出しのプロジェクトも行われていました。

皆さんが熱心にかつ気さくな感じでやっている様子にこちらの襟を正す思いもしました。
中に入らないとそうは分からないし、表面的なものだけを見てそう簡単には批判できるものではないなぁと改めて感じました。

 

主体的に生きる

私は障害者の就労支援の仕事もしてるのですが、最近はそっちの方の仕事が猛烈に忙しく、、全力を挙げてもなかなか追いつかないような状況が続いています。

もっとも、私は暇が嫌いなので、このアップアップ状態に充実感も感じているのではありますが。
そして更に、もっともっと忙しくなってもいいと思ってしまう自分の変態さ加減に呆れてもいます。

それで、とにかく新規の案件が多く、どんどん依頼が入ってきます。
どこにこんなに障害者の方々が隠れていたのかと思うぐらいで、今日は3件の新規のご相談を受けました。

そのうちの一件で、親子面談をしました。
子供のほうが精神疾患をお持ちの方で、前職を退職しゆっくり過ごしていたものの収入面で厳しいため、就労のご相談に来られたのでした。

取り敢えず、流れに任せて話を聞きます。
時折、質問をします。
いかにコミュニケーション能力が低そうでも、沈黙してしまったり返答に時間がかかってしまったとしても、私は本人に聞くべきことは基本的に本人に質問し、本人の返答を待ちます。

しかし、ここで多いケースは、お母さんが話を取ってしまうんですね。
分かりやすく説明しよう、子供をフォローしようと思うあまりに、本来子供がすべきことを母親が代理してしまうのです。

これは厳しい言い方になるのかもしれませんが、これが頻繁にあると子供の主体性を奪います。
責任感を持った大人ではなく、他者がやってくれるという依存的傾向を持つ大人に育てかねません。

こういった場合は本人が自分の本音を言わなくなってしまうことが多いような気がします。
当たり障りないことを言ったり、表面的で口数少なくなったり。

今日のケースでは本人は口数少なく、表情がない感じだったのですが、なんとか最後のほうでは本人の考えや気持ちが出てくるようになりました。

主体的に生きるということは非常に大事なことです。
本人が自分の人生を引き受け、自分の人生を選択し、自分の人生を形作っていく。

たとえ、あがり症であっても、それにどう対峙し、どう臨み、どう行動していくかは自分で決められるのです。

人は環境や状況の犠牲者ではありません。
人は自分の人生を主体的に生きることができるのです。

人は自分の人生を描く画家なのです。