以前の職場でのことです。
いつもすねた感じの子がいました。
その子は家庭の事情で児童養護施設から通っていました。
冷めた感じの鋭い目線が印象的でした。
何も興味ないしー、みたいな雰囲気でつんとした表情をしている一方、いつも自分の体調不調のことをしきりに周囲に話していました。
おそらく、これまで生きてきた中で身に付けた、承認欲求に飢えた子がよくしがちな注目を得るための言動だったと思います。
その子は知的障害者でした。
ただ、コミュニケーション能力と理解力はとても知的障害者とは思えないほどの能力を持っていました。
一方、にもかかわらず、算数がとりわけ苦手でした。
苦手というよりも、学習障害レベルだったのかもしれません。
ある日、作業指導をするかたわら、ひょんなことからその子に算数を教えることになりました。
1+3や1+4がなかなか答えられません。
私はボールペンを並べ、「1+1は?」「・・・2」などと四苦八苦してやり取りしていました。
彼女は自信なさそうに、おどおどして答えます。
相当計算に苦手意識を持っているのでしょう。
それでも、苦戦しながらも私の指導についてきてくれています。
やがてボールペンを一本と三本並べて「1+3は?]と聞きました。
間が空いて、彼女は声を振り絞るかのように答えました。
「・・4本?」
「そう!4本!できた!ね?できるんだよ!」
私は思わず、相当ハイテンションな声で目を穴が開くぐらい見つめてシャウトしました。
すると、それまで自信なさげでこちらを伺っているようだった彼女の目が、なんとパッチリきらきらしてこちらを見つめているではありませんか。
もうここは逃してはいけません。
この瞬間こそが、向上心・吸収力等、最も人の能力が発揮できる瞬間です。
徹底算数講座です。
できた時はこちらもキラキラ目線で、「できた!」「ね?やれるんだよ!できるんだよ!」で答えます。
彼女もその都度、これまでのスネた目線がどこいったの?みたいなぐらいキラキラこちらを見つめます。
その日以後、憑きものが落ちたかのように、それまでのつんとした表情がサ―ッと変わっていったように感じました。
時折、彼女は私に報告してくれました。
算数のドリルを買ってやっている、と。
自己効力感や自己肯定感といったものがいかに人に影響を及ぼすか、そんなことを感じた体験でした。
長期圧迫面接
私の担当している方で、40代の男性の方がいます。
Aさんとしましょう。
Aさんは若い頃に発病し、統合失調症やうつ病、人格障害、等々診断名が2転3転してきた方です。
独特のキャラクターで、若い頃はクレーマーだったと自称するほど随分いろんな会社や役所にガンガンやったようです。
一方、今ではそんな時代があったのかと不思議なほどお笑い芸人のように話が上手く、私との面談はいつも相談というより雑談ばかりで、ひたすら笑わせてもらってそれで終わってしまいます。
Aさんによると、私のタイプは「ゲラ」と言って、要はゲラゲラ笑ってばかりの簡単なお客さんタイプのようです。
もう完全に芸人視点ですね。
最初の1、2回は何らかの相談がありましたが、今や相談などほとんどなしです。
いったい私の所に何しに来てるんでしょうかね。
まぁ、それはさておき、そのAさんですが、若い頃に臨床心理士のカウンセリングを何年かに渡って受けたそうです。
その臨床心理士の方も随分独特なキャラクターだったようで、一言で言うと圧迫面接。
痛いところばかり突いてくるタイプだったようです。
ちなみに、これ、カウンセリングです。
Aさんも若い頃はクレーマーだったと自称するほどの人ですから、この臨床心理士に対して不平不満を随分言ったそうです。
ですが、それに対する臨床心理士の対応は、「では、今日はそのことについて話しましょうか」などと応じ、「ほう、腹が立ったと・・・」「その時どんな感覚が・・・」といったように話が展開されていったようです。
そうして隙あらばAさんの弱みを突いてくる。
どっちがクレーマーなんだか。
Aさん自体も変なタイプの方ですから、この圧迫面接に対して、このカウンセリングに食らいついていくことが今の自分には必要に違いないなどと考えて、通い続けたと。
なんじゃそりゃ?
カウンセリングは年単位に渡り、8年とか言ったかな、随分通い続けたようです。
おそらく医療機関でのカウンセリングでしょうから保険が効いたとは思いますが、一体どれだけのお金を費やしてきたことか。
以前の、精神分析というフロイト派のカウンセリングはそういったように週1、2回で結構高額な金額でやっていたようです。
近年はそういった時代への批判から、心理療法にエビデンス(実証、根拠)が求められるようになってきており、短期で解決を図ることが専門職に問われています。
ところで、Aさんは短期でカウンセリングが終わったとしたら満足したんでしょうかね?
Aさんは人との交流を求めていたのかもしれない、そんな気もするのです。