ひきこもりからの脱却
私は学生の頃、就職するということがイメージできませんでした。
それをしている自分など想像もつかない感じです。
就職って何?
なんでみんな就活してんの?
なんで就職しなきゃなんないの?
なので、私にとっては大学時代は社会に出る前のモラトリアム(猶予期間)でした。
しかし、そんな風な言いかたをすると、社会に出る前に気持ちや考え方を準備して~などとかっこよく言えそうですが、私の場合は就職したくないんでただ学生という身分に安住していたに過ぎません。
結局、社会に出る前の準備などかけらもせずに6年半の間、大学にはほとんど行かずパチンコ三昧でした。
そうしてモラトリアム(猶予期間)終了と共に社会に投げ出されたのが現実です。
もし、もし仮に、私が社会に出なくても済むような住みかとお金があれば、100%ひきこもっていたことでしょう。
いやむしろ私の場合は交友関係は比較的あったのでニートといったとこでしょうか。
一般に、モラトリアム期間を終え、人は社会に出ていくなかで自分の立ち位置を定める必要があります。
職業、交友、結婚、生き方、等々。
しかし、その立ち位置を定めることに躊躇し、回避し、うちにこもってしまうのがひきこもりの一つの類型と言えます。
彼ら彼女らは非常に傷付きやすく繊細で、かつ誇り高いがゆえに、リスクを伴う社会場面を恐れるのです。
そうして人生という舞台から舞台の袖へと隠れ、そこから舞台の様子を眺めるようになるのです。
彼ら彼女らに必要なことは、再び人生の舞台に立つことです。
人生の主体者になることです。
自分が人生に望むことを求めようとするならば、そこには傷付くことや失敗は必ず付随します。
人との関わりを恐れる裏には欲望があります。
それは、逆説的ですが本当は人と関わり合いたいという欲望です。
不安の裏には必ず欲望があるのです。
だからこそ苦しむのです。
その欲望に添って行動しようとするなら、うまくいくこともあるでしょうし、逆に傷付くこともあるでしょう。
それが人生の真実なのです。
ひきこもり者が求める完璧なる人生は幻想にすぎないのです。
そして、彼ら彼女らが人生の舞台に立って演じるとき、まず必要なことは、これまで断固として否定してきた不安や恐怖などの感情を認めることです。
傷付く自分を認めることです。
あってはならない自分を受け入れることです。
ひきこもり者に必要なことは、不完全な自分を受け入れる勇気なのです。
不完全な自分を受け入れた時、傷つき失望する自分を感じ尽くした時、その静寂の奥底にある微かな心の声に耳を傾けるのです。
自分はどうありたいのか。
自分はどうなりたいのか。
それがあなたの価値観です。
その価値観が、あなたの生きる勇気と希望を紡ぎだす源となるのです。
妄想と睡眠の研修日和
今日は、とある研修に出たのですが、そこで妄想したことを書きます。
私の本業は障害者の就労支援で、いわゆる福祉職です。
それで、よく研修に参加しています。
というより何百人といる法人職員の中で私が一番参加しているかもしれません。
で、その研修なんですが、しばしば事例検討があります。
いろいろな事例をグループで、あーでもないこーでもないと話しあうわけです。
そしてその先には、各グループで話しあった内容を発表するという流れが自然に付随します。
私はこれが非常に苦手でした。
社交不安障害ですから当然と言えば当然でしょう。
大体が、グループになってまずやることが自己紹介、そして次に司会役と書記役、発表役を決めるという流れになります。
この司会役と特に発表役がイヤなんですね。
今では、随分マシになりましたが、それでも緊張することはします。
今日も声がいいからなどと意味不明な理由で発表役を担わされました。
まぁ、少し緊張したぐらいで無難に発表を終えたのですが、ここである事をバチーンと思い出しました。
私は今現在、起業に向けていろいろな方に相談に乗って頂いています。
ある人に言われたのが、「佐藤さん、あがり症向けのカウンセリングやセミナーではまだ駄目だ。もっと対象を絞り込まないと」ということです。
「大体、どんな人が多いの?」と聞かれ、「PTAの役が苦痛とかSEの仕事で昇進してしまった人とか、会社の朝礼や結婚式のスピーチが」~などと答えたら、「じゃあ、SE向けにやったらどうか」と言われ、はぁと答えたのです。
ちょっと、ピーンときませんでした。
そうして別の人に言われたのが、同じくもっと対象を絞り込むようにということですが、更に私のリソース(資源、財産)は何か?と問われました。
経験・スキル・専門性・人脈等々、リソースは様々でしょう。
そして出たのが福祉職というキーワードです。
じゃあ、福祉職であがり症の人にターゲットを絞ったらどうかとのこと。
しかし、具体的なイメージやアイデアが湧いてきません。
そして今日の研修でした。
福祉職には研修がつきものです。
事例発表もあるでしょう。
ということはそれが嫌で嫌で仕方ない人がいるはずです。
しかも、実務上ケース会議など会議がやたら多いです。
それが苦痛なあがり症の方もいるはずです。
そうしてピーンと来たのが、福祉職に就くあがり症の方向けのセミナー。
模擬事例検討会や模擬ケース会議などもありで。
更に研修後半でした。
とある施設の方の支援のあり方や考え方についてのご講義があったのですが、これが単調で眠くて眠くてしょうがない。というか半分以上寝てしまった・・・
こういうアプローチがいいのよ、みたいなとこでしょうが参加者のニーズに答えていない。
参加者はこんな研修など求めていないはずだ。
もっと実践的なスキルを・・・
そしてここでまたピーンときました。
福祉職の方は専門職ですから、人の話を聞く一定程度のスキルを持っています。
しかし、実状はと言うとカウンセラー等に比べたら平均的に見劣りするでしょう。
そこで妄想したのが、福祉職のための傾聴講座。
うん、いけるかも。
更に妄想しました。
福祉職の方には、利用者やご家族との面接時にうまく関係作りができなかったり、効果的な質問ができなくて明るい未来が描けない暗~い面接になってしまう人もいるでしょう。
もっとうまく面接できるようになりたいという人は多いはずです。
そこで考えたのが、福祉職のための面接時に効果的な質問技法講座。
うん、いけるかも。
そして派生的に考えたのが、障害を持つ子供のお母さんは傷つき一人で悩まれていることも多いでしょう。
苦労もしたはずです。
そこで考えたのが、障害を持つ子のお母さんのための自尊感情を育むワークショップ。
うん、いけるかも。
あぁ~、こんな妄想ばかりで研修のことはあまり入らなかった一日でした。
最近、あれもやりたいこれもやりたいなどと、こんなことばかり考えています。
どうなんでしょうかね?
今挙げたような研修やセミナーがあったら出てみたいんでしょうかね?
それともこんな研修やセミナーがあったら出てみたいっていうの何かありますでしょうかね?
しかし、私は、一体何をやりたいのか。
勇気づけがキーワードなのは決まっている
んですけどね。