宿命から運命へ
「~ができない」
って言うことありますよね?
あるいは、
「イエス~バット~」
「はい。けれど~」
って言うこともありますよね?
これ一見すると至極もっともなことを言っているように思えますが、よくよく考えてみてください。
自分にとってちょっと大変な、あるいはプレッシャーになることほどこの言葉を言う機会が多くないでしょうか?
「ダイエットができない」
「タバコが止められない」
「部屋が汚いんですけど忙しくて掃除がなかなか・・・」
「身を切る改革ですね。えぇ、分かってるんですけど景気が悪くてなかなか今の状況では難しいんですよね~」
これね、実は「~できない」ではなくて「~しない」って決めているんですよね。
もう、言う前から、しないって決めていることってありません?
そうなんです。
それをあたかもそれらしい理由があるように言ってるけども、やらないって決めているだけなんですよね。
これが、さして大きな影響を及ぼすことでなければいいでしょう。
しかし、物事によっては人生や組織に影響を与えることがあります。
対人援助の仕事でもまた違った形であります。
それは、生い立ちや家庭環境などをもとに、この人はこれこれこうだからこうなんです、だからできないんです、と支援者が決めつけると、その物事は決して良くならないでしょう。
環境や生い立ち、体験などの影響はもちろんあります。
私も日々、かなり濃いケースの方々を支援していますのでそのことは否定しません。
しかし、人は、いかなる環境にあり、いかなる経験をしても、それに対する自分のあり方は自分で決められるのです。
我々は過去に縛られてはいけないのです。
環境、経験、状況等々、避けられないものはあるでしょう。
原因や過去を元に考える限り、そこに進歩向上はなくなります。
「~だから」では分析・解釈にはなっても、そこからは何も生まないのです。
我々には、過去や原因がなんであれ、そこから何ができるかという未来への視点が大切なのです。
「~であっても~する」という視点です。
これは「宿命」に翻弄される人生から「運命」を切り開いていく人生を意味するのです。
当事者の声
今日は職場で集団認知行動療法をやってきました。
参加者は6名。
抱えている障害は、本当に十人十色。
精神障害の診断名の一覧表ができるのではないかというぐらい多様です。
本当は集団認知行動療法は、例えばうつ病ならうつ病の方だけで、社交不安障害なら社交不安障害の方だけを集めてやるのですが、うちは職場の事情から、何でも来い!?でやっています。
ですので内容もやや緩め。
今日の内容は、ぐずぐず行動への対処法。
日頃、やらなくちゃいけないのに、どうしても先延ばしにしてしまうことってないでしょうか?
私の例でいえば、掃除、洗濯、布団干し・・・
あぁ、情けない、怠け者なんです。
いつもやらなきゃなんて思ってるけど、めんどくさいし~、死ぬわけでもないし~、今度やればいいし~って言って結果ずるずるやってない・・・
といったようなことを皆さんに書いて頂いて、それを元にいろいろなワークをしていきます。
先延ばしにするメリットデメリットを書いてもらったり、ぐずぐずさせる悪魔の声をペアになった人に囁いてもらってそれに反論したり、アクションプランを策定したり、等々やっていきます。
そうしてワークショップは順調に進んでいき、最後の方で私が総括的なことを話します。
目標設定のコツは~などと部屋の掃除もロクにできていない人間が言うわけですね。
けど、自分のことは棚に上げといて結構いいことを言うんです。
まぁ、資料に書いていることなんですけどね。
例えば、目標設定はいかに低く設定するかがコツ、とか、何かすることが億劫な時は、まずほんの小さなこと、例えば掃除なら本を一冊棚にしまうことがコツとか話すんです。
みんな、感心して聞いています。
ちなみに私の部屋の机の上や周辺には本が散乱しています・・・
まぁ、何はさておき、皆さんの感想を聞いていくと、私のコメントなどに賛同してくれる人もいます。
「小さなできたことを認めていきたいと思います」
などと仰ってくれるわけです。
ところがです。
そこにある方がコメントしました。
「私は、その小さなことが当たり前すぎて認めることなんてできないんです」
きたー。
この方は、かくあるべしという「べき思考」が強い方で、自分を認めることに困難さを抱えている方です。
100あるうちの99できていても決して自分を認められません。
更には、褒められると苦しむという特徴を持っています。
以前行っていたデイケアで褒められ過ぎてつらいという悩みを切々と訴えてきたこともあります。
私、こういう発言があった場合、決して逆らいません。
その人にとっては、それが真実だし、いやいやそんなことない~なんて言っても相手に入らない以上無駄です。
こういう時は参加者に振るのが一番です。
皆さんはどうでしょうか?などと。
するといろいろ出てくるんですね。
自分もそういう所があるが、100あるとしたら1か2でもできたということを認めるようにしている、とか、そもそも今日ここに来たこと自体が認められることだと思います、などと泣ける一言も出てきました。
「自分を認めることができない」といった人は聞き入っています。
こういったように当事者が当事者に対して話す一言は、時に支援者が話すより100倍有効になることがあります。
同じ立ち位置で、同じように何らかの悩みを抱え、その人なりの対処法を聞くことは説得力が違うんですね。
そうして何とかその場をうまい具合に切り抜けることができ、まずまず無難に終わりました。
当事者の方はその存在自体で誰かの心を救うということがあるのです。