例え喉がカラカラになっても
私はカウンセリングや高齢者電話相談などいろいろやっていますが、メインの仕事は障害者の就労支援です。
具体的には市内在住の就職を希望する身体・知的・精神障害者の方々に対し、就職に必要な様々なサポートをする何でも屋といった所でしょうか。
大きく言うと、三つの役割があります。
一つは当事者への生活面、メンタル面、スキル面へのサポート。
二つ目は、当事者を雇う企業への受け入れ支援、ノウハウの提供、相談対応。
そして三つ目が当事者が企業就労へと行く道筋の様々なルートの支援です。
さしずめ栄養成分を運ぶ血液みたいな存在でしょうか。
当事者の各種悩みを聞いて栄養を与える役割。
また、当事者を血液に乗せて必要な臓器(会社)へと運ぶ役割。
そして、臓器(会社)が疲弊しないように様々な血管のルートを確保するとともに血液を定期的に供給し、栄養成分を送っていく役割。
話を戻します。
そういった支援を日々行っているのですが、今日来たある方が、面接直前ということで面接の練習を行いました。
その方はメンタル面に疾患を抱え、真面目さと誠実さ故に自分を苦しめ、そして自分の悪いとこ探しにどうしても集中してしまうような方でした。
かつては、とある会社の人事課にも所属していた方です。
その方は完璧なまでに様々な準備をしていました。
想定問答の原稿を準備して自宅での徹底した練習。
相手企業の事前情報収集。
実際に当該会社まで行ってきたようです。
そしてハローワーク主催の事前面接練習会に参加してきたとのことでした。
その方は私に訴えます。
想定外の質問が来た時、どうしてもうまくいかない。
頭が真っ白になる。
面接官がコワモテだと緊張してしまう。
また、緊張が強く喉がからからになって口が上手く回らない、と。
私は彼に提案しました。
まずは、できることとできないことをしっかり分けましょうと。
まず、想定外の質問が来ること。
これは、面接をする上で当然に起こることだし、そういった時は頭が真っ白になるのも十分あり得ること。
また、面接官は選べないし、面接官がどう評価するかということ。
そして、喉がカラカラになって口が回らなくなること。
これらに対しては自分から何かできないし避けられないことですねと確認し、彼も同意しました。
そして、あなたの強みは何でしたか?と聞きました。
彼は、うーん、と考えながらも誠実さであるとか、人が見てようが見てまいが手を抜かないことなどと答えました。
私は、ではその強みを発揮してくださいと彼に言いました。
すなわち、頭が真っ白になったり、緊張して喉がカラカラになったとしても、誠実に一生懸命答えようとすることはできますね?と。
そして、聞きました。
ペラペラと軽い感じで答える人とトツトツながらも質問に誠実に答えようとする人では、面接官はどちらを選ぶと思いますか?
人事にいたあなたならどちらを選びますか?と。
彼は答えます。
誠実なほうです、と。
私は答えます。
そうです、企業側が見るのはその人の話し方ではなくその人の人間性なのですと。
ですからあなたは、いかなる状況が起こっても、例え喉がカラカラになっても、質問されたことに誠実に答えようとすればいいのです、と。
こうして話していくうちに、切々と訴えていた彼の表情が徐々に和らいでいきました。
もちろん私は面接練習において技術的な指導もします。
話し方、適切な答え方、目線などを指導したり、ビデオに撮って本人に自分で気付いてもらったり、鏡を使って姿勢を正してもらったり、などなど。
しかし、本質的なことを踏まえての技術指導でないと、表面的なリクルート型の受け答えをすればいいなどと勘違いする恐れがあります。
極度の緊張にありながらも、頭が真っ白になりながらも、喉がカラカラになったとしても、いや、だからこそ自分自身の人間性を相手に伝えることができるのです。
不可能と決めつけない
私が支援していた人で、発達障害で吃音、そしてややあがり症気味の若い男性がいました。その方は様々な病院を渡り歩いてきました。
しかもその分野のトップレベルの所を探し出して行くのです。
理由は自分の障害を突き止めるためです。
しかし、診断を受けても、あるいは医師から問題ないと言われても納得することはありません。
いろいろな病院に行き発達障害の診断を受けても、今度は脳のどこかがおかしいんじゃないかと脳神経科に行くと言い、吃音については新しい療法の実験台になると言って専門的機関に行きました。
しかし、その方と接していて気付いたことがあります。
吃音のことで調べてもらうことに専念している時は、脳の問題のことはあまり悩んでいる風でもなく話題に上りません。
そして、発達障害のことで脳がおかしいんじゃないかと話したり、調べてもらおうと動いている時はほとんど吃音にならないのです。
彼が吃音になる時は、そのことについていつもより話した時や、そのことを調べてもらったりした時にこそ頻繁になるのです。
何かを示唆していないでしょうか?
そうです。
症状のことを気にすればするほど却って症状に意識がいって悪化しています。
囚われの状態です。
森田療法で言う所の精神交互作用です。
彼は正に典型的な例でした。
そして数ヶ月前のことです。
とあるイベントがあり、そこで障害者の方に司会をやってもらおうということで人探しをしていました。
私は冗談半分に彼にやらない?と聞きました。
彼は間髪いれずに淡々と答えました。
「やります」
「え?」
吃音であがり症の彼が司会を?
聞いたこっちが驚いてしまいました。
後で、やっぱりやりませんと言うのを想像していました。
しかし、一日たっても一カ月たっても彼からキャンセルの話は出ません。
そして当日を迎えます。
台本はこちらがみっちり作り、舞台裏でいろいろな手配フォローするとはいえ、まさか彼が?
私は信じられない思いでした。
やがてリハ―サルが終わり本番を迎えます。
結論から言うと、彼は無事司会の務めを終えました。
一回つっかえたもののそれ以外は何の問題もなく進行を進めることができました。
私がこの件で感じたことは二つ。
一つは、こちらが目の前の人を不可能だと決めてはいけないということ。
そしてもう一つ、何が何だかさっぱり分からなかったということ。