自己決定の原則

対人援助職にとってのバイブルとも言える原則があります。

バイスティックの七原則と呼ばれるものです。

以下のような内容になります。

1個別化の原則・・・ケースに同じものは一つとしてなく、似たようなケースでも全く別のものであるということ。

2意図的な感情表出の原則・・・クライエントの喜怒哀楽を表出させるようにしていくこと。

3統制された情緒的関与の原則・・・いわゆる巻き込まれを避けて、支援者は一定程度の感情を抑制して関わる必要があること。

4受容の原則・・・クライエントの行動、考え、感情を受け入れること。

5非審判的態度の原則・・・支援者が自己の価値観と合わないようなことでも、クライエントを裁くことはせず、あなたはそうなんですねという態度を維持すること。

6自己決定の原則・・・大事なことはクライエント本人が決めるということ。

7秘密保持の原則・・・クライエントの個人情報に対する守秘義務。

 

私は対人援助の資格を取る専門学校で初めてこの言葉を聞きました。

振り返ってみれば、私は意識してもしなくてもこの七原則に沿って対人援助の仕事をしてきたように思います。いわばこれが私の憲法と言っても差し支えないように思えます。

この中で、私が常々強く意識してきたのは6番の自己決定の原則です。

これは大事な選択は必ず本人が決めるという原則です。以外にこれが守られてないケースは多々あります。

意思表明能力の弱い方や高齢者や障害者などの社会的弱者は、どうしても親などの周囲の者や支援者が指示したり、あるいは誘導してしまうといったことがあります。

しかし、客観的に見て、いかにそれが正しいと思えるような選択でも、クライエントがそれを望んでいないときは、あまり良い結果をもたらしません。

逆に言うと、こちらがマジかよと思うような選択でも、それを本人が自分の意思で選択した場合、驚くような結果をもたらすことがあります。

だから私の対人援助の仕方は極力、本人が選択し、結果も本人に帰属するようにしています。

最近、私が支援する人はマジかよー、の選択をする人が多いです。

残業月100時間超えで、かつ残業代がつかない超ブラックな会社で勤め続ける方。

良い環境の会社に就職してまもなく、福島の除染の仕事の方がもうかるからと言って辞めてしまい、過酷な環境に飛び込む方。

交通事故で脳に障害を負ってしまい、もう元の会社に戻れるだけの能力はないにもかかわらず、他の選択肢を嫌がり会社に戻ると言ってきかない方。

私がすることは、各選択肢のメリットデメリットをきちんと伝えて、あとは自己決定の原則に従い本人に決めさせて本人に結果の責任を取らせることです。

解決は支援者が知っているのではなく本人が知っているのです。

 

良き妄想を

先日、私の元に始めて来られた方はジストニアと呼ばれるものと類似した症状を持っていました。
ジストニアとは体の一部分が、筋肉が自分の意志とは無関係に力が入るため、手足がねじれたり突っ張ったりする症状をいいます。

その方の場合は、右手がねじれた状態で後ろの方に行くのを左手で必死に抑えている状態でした。
また、横に向こうとする首を必死に前に向けていました。

そして、初回面談ということでアセスメント用紙に記入してもらう必要があるのですが、字を書こうとすると手が益々ブルブル震えます。
その手を片手で抑えつけます。
更に震えが大きくなります。書頸と呼ばれる症状です。

傍から見たらドタバタと一人で格闘しているような感じです。
しかも本人曰く、初めての場所で、さらに面談相手の私がスーツなのでプレッシャーになり、余計緊張して症状がひどくなっているとのことでした。
家だとそれほどひどくないと言います。

私は、それはすいません、と言いながらスーツの上着を脱ぎ、んじゃTシャツ一枚に?と勢い良く身振りで示します。
するとその方は笑ってくれました。

私は取っ掛かりをつかんだと感じました。
ジョイニングと言いますが、対人援助においては最初の関係性作りが非常に大事になります。

そしてお話を伺っていき、その方の障害や今置かれている状況を聞いていきました。
必死に自分の体のねじれと格闘しているその人をじっと眺めて私は言いました。

「よくなると思いますよ」
「???」

「この症状を何とかしようと意識すればするほど却って状態が悪くなっていませんか?」
その方は、そうですと肯きます。

「手のことを震えないようにと抑えつけると逆にますます震えてしまう・・・」
再び肯きます。

「ちょっと、抑えつけるのではなく逆に一番ひどい状態にしてもらえますか?
そうそう、おもいっきりひねって、そうそう、
そのままそのまま、力を入れて・・・はい、力を抜く」

「どうです?」
ねじれが和らいでいるので、その方は驚きます。

そして、勢いがついてきて自分自身のことを立て板に水のように話し続けます。
頃合いを見計らって私は言いました。
「今、手が真っ直ぐになってますね」

「そうなんです」と、その方は答えます。
手のことを考えずに、話に集中すると手の震えが止まるんです、と。

私は言いました。
「そうです、私が言いたいのはそれなんです」、と。
「手の震えをなんとかしようと意識すればするほど余計に震えてしまう。
そうではなく、目の前に置かれたことに集中したり、自分が夢中になれることや自分の好きなことをやっていると、治るのではないが知らないうち症状が軽減されていくのです」と。

その方は堰を切ったように話し続けました。
そして最後に私から次のようなプレゼントを渡しました。

その方は、自分の姉に深く感謝していました。
なので、私は聞きました。

「もし、仮に症状が治ったとしたら、それを見たお姉さんはあなたになんて声を掛けますか?
それにあなたは何と答えますか?
するとお姉さんは?」
治った時のイメージを映像で思い浮かべられるかのように聞いていったのです。

さらに宿題を課します。
「この、もし治ったらという妄想を次来る時までにひたすらしてきてください」
「さらに、手のねじれがましな時の状態を観察してきてください」と。

最後にその方は言いました。
一生治らないかと思っていた、と。

彼は希望を持つことができたのです。
治った時の自分をこれまでは微塵も想像できなかったのです。

ありありと映像で思い浮かべられるぐらいにイメージできたことは実現します。
私は、彼はきっと良くなると確信しています。
今後が楽しみです。

ちなみにこの方の症状は、あがり症の仕組みと全く一緒です。
ねじれを、あがりに置き換えても全く同じことなのです。