プリテンド・ミラクル・ハプンド
あがり症を語る⑦ではミラクルクエスチョンのことを書きました。
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ミラクルクエスチョンとは問題を抱えて行き詰っているクライエントに、問題はとりあえずそのままにして奇跡が起こった一日の詳細を語ってもらうカウンセリング技法です。
奇跡が起こっているので何でもありです。
カウンセラーの誘導により、普段のマイナス思考の束縛から解放されて、これまで想像もしたことのないようなミラクルな一日を克明に想像し語っていきます。
その想像すること自体が治療的な過程となります。
そして実は場合によってはこの続きもありなんです。
それはプリテンド・ミラクル・ハプンドという技法です。
訳すと、奇跡が起こったように振る舞うという意味です。
今、非常にブームになっているアドラー心理学にも同じような技法で「アズイフ(as if)テクニック」というものがあります。
これも同様に「まるで~のように」と自分自身が望む自分になりきって振る舞うというものです。
それで、このプリテンド・ミラクル・ハプンドですが、まさにミラクルクエスチョンで克明に描いた一日のようにやってみようというものです。
例えばあがり症のケースでやってみると、
朝、学校(会社)に行って、周りの人に自分からおはようと声をかける。
そして、天気のことや日常の他愛のない会話をする。
授業(仕事)が始まっても心は落ち着いていて、今、ここでなすべきことを淡々とこなしている。
先生にあてられるのではないかという心配はしない。
仕事中電話が鳴っても焦らず取って一語一語ハキハキ答える。
さわやかな感じで電話を終える。
会議の際は、自分が話す前の予期不安に襲われることはなく、議論に集中している。
質問されても慌てず淡々と答える。
休み時間や昼休みは、同僚や友達と気構えることなくお喋りをする。
そして楽しく笑う。
食事中は何人かと一緒のテーブルに座り、自分が浮いてしまうことなく楽しく話す。
上司からの質問には冷静に適確に答える。
飲み会や忘年会では、疎外感や孤独感を感じることなく、話の輪に自分も加わる。
家に帰り、ご飯を食べお風呂に入り、眠くなってきたので布団に入りささやかな幸せ感を感じながら、やがてすやすやと眠りに入る・・・
これ、あがり症でない人から見たら、だから何?かもしれませんね。
ただ、あがり症の人にとっては間違いなくミラクル・ハプンドなんです。
奇跡の一日なんです。
これをやると劇的に変わることもあるようです。
ただ、恐らくは自分一人でやるにはなかなか難しいと思います。
一緒にミラクルを共有し、背中を押してもらい、結果を一緒に喜んだりがっかりしてくれる伴走者の存在がいるかどうかが大きな要素ではないかと思います。
世界で一番厳しい評価者
対人恐怖症とは、「他人と同席する場面で、不当に強い不安と精神的緊張が生じ、そのため他人に軽蔑されるのではないか、他人に不快な感じを与えるのではないか、嫌がられるのではないかと案じ、対人関係からできるだけ身を退こうとする神経症の一型」(加藤正明)・・・のことを言います。
人前で話して声が震えると軽蔑されるのではないか、自分の表情が不快な感じを与えるのではないか、自分の匂いが嫌がられるのではないかといったような不安は、実は人から認められたい、人とより良い関係を保っていきたいという欲求の裏返しでもあります。
それは「より良く生きたい」という思いでもあります。
これを森田正馬は「生の欲望」と名付けました。
つまり、健全な欲求があるからこそ、それがうまくいかなかった時の不安が生じるのです。いわばそれらは一対のものであり、光と影、陰と陽とも言えます。
しかし対人恐怖症の状態にある方は、この影や陰をあってはならないことと特別視し、排除しようとします。
それは、光と影、陰と陽という一対不可欠のものを取り除こうとする自然の摂理に反した無謀な試みなのです。
そしてそれに気付かない対人恐怖症者は、「緊張すること」や「不安に思うこと」をあってはならないこととして排除しようと意識を集中させ、ますます症状に囚われていくのです。
そうして、それができない自分に失望し、自信をなくしていきます。
対人恐怖症者は、時に世界で一番厳しい評価者とも言われますが、そりゃそうですよね。不可能なことを自分に要求しているのですから。
かくあるべき自分という基準があまりにも高く、その基準を満たそうとコントロールできないことまでコントロールしようとするのが対人恐怖症者の特性であり、アドラー心理学の性格類型ではコントローラーに該当すると思われます。
ゲッター、ベイビー、ドライバーなどとアドラーの性格類型はいろいろあるのですが、私もやはりバリバリのコントローラーですね。
では、コントローラーである対人恐怖症者にどうアプローチしていけば良いのか?
それは過剰にコントロールする性向を緩めていくことにほかなりません。
つまり、緊張や不安、恐怖をコントロールしようとするのではなく、不安は不安のままにしておいて、その裏の「生の欲望」を発揮させていく必要があるのです。
それは不安をなくそうと解決を求める対人恐怖症に対して、不安になりきって行動することを求める逆説的介入です。
「恐怖や不安はありながらもあなたは本当はどうなりたいのですか?」
「人間関係に不安になるのは裏を返せば、人とより良く関わりたいからなのではないですか?」
「不安はありながらもあなたが今できる小さな一歩は何ですか?」
沸き上がる不安はコントロールできませんが、不安があっても行動するかしないかはコントロールできるのです。
蟻の穴から堤は崩れると言います。
大きな変化は小さな一歩から始まるのです。
まずは小さな一歩を始めてみませんか?