あがり症が治ることという目標設定の過ち

あがり症を治したいと願います。
切に切に願います。
これこそが人生を阻害する大きな壁と捉えます。

他の病気もそうかもしれませんが、あがり症者の苦しみは体験者のみ知ります。

いかに苦しいか。
故に望みます。
あがり症が治ることを。

そしてあがり症が治ることが、あたかも人生の全てのようになってしまいます。

しかし、ここに落とし穴があります。
あがり症が治ることが全てになると、治った後のことが希薄になりがちです。
ひょっとしたら真っ白かもしれません。

イメージできない未来は実現しないのです。

「あがり症が治ったら~する」ではなくて、どうありたいか、どうなりたいか、あなたの生きる目標、価値観こそが先なのです。

どうありたいか、どうなりたいか、そこに集中して生きていけばいくほど、あがり症の症状は副次的に収まっていくのです。

 

ストレスを減らすのではなく、ストレスからいかに回復するか

レジリアンスという言葉があります。
精神医学や心理学の用語で、シンプルに訳すと回復力。
あくまで私の印象では、何かストレスや嫌なことがあってもボヨ~ンと跳ね返す力であったり、低反発枕のように凹んでもジワ~っと復元する力をイメージします。

これまでの精神医学での主要な考え方は、特に統合失調症等で知られる脆弱性モデルやストレスモデルでした。

これは、ストレスが貯まって限界を超えたとき、症状が発症するというもの。
このモデルに立脚するといかにストレスを減らすか、いかに自分の脆弱さを強くするかという発想になるでしょう。

しかし、レジリアンスモデルは異なります。
ストレスはあるのです。
生きていく以上、時に強いストレスを抱えることもあるでしょう。

大切なことはストレスがあったとしても、そこからいかに回復するか。
ストレスがあったとしても、それにいかにボヨ~ンボヨ~ンと対処できるかなのです。

私の場合。
私はあがり症を克服したと言い張ってます。
しかし、そんなこと言ったってあがるもんはあがるんです。
ましてや元重度のあがり症です。

昨日も久し振りにドキドキ、キュ~っとして劣等感や自己嫌悪感を感じる出来事がありました。

しかし、翌日には完全に回復します。

私は、どうしてもこんな下らないことに振り回される人生はもうホトホト嫌なんです。
心底イヤです。
もう十分味わい尽くしました。

敢えて言います。
もう、くそ食らえです。

私は価値のある人生を生きたいんです。
自己実現したいんです。
他者貢献したいんです。

もう、あがり症に囚われた人生は嫌なんです。
あがることはあっても、あがることに囚われることは嫌なんです。

こんな私のレジリアンスとは?

それは、「ま、いっか」と自分を許すこと。
そして「私はどうなりたいか」を追求することです。

あなたのレジリアンスは?