こんにちは。

勇気づけを理念に対人援助の仕事をしています佐藤と申します。

あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の当事者、回復者、治療者 として、あがり症に悩む全ての人のために、あがり症の仕組みや克服法、そして赤裸々な体験など、あがり症の全てを語っていきます。

〈前回までのあらすじ〉

大学在学中のバイト先である麻雀店で就活もせずそのまま働き続け、やがて責任者となり、社交不安障害をかかえながら日々を悪戦苦闘していました。
やがてオーナーの経営方針を批判し、反旗を翻しますが、大きな衝突以後、逆らうことをやめました。そして辞めることを決意しますが、次の仕事に対しての展望が全く湧かずに不安に苛まれます。そうして、オーナーからの激烈なパワハラの中、毎日天職に就くことをただひたすら祈っていました。

辞める意思をオーナーに伝えてから実際に辞めるまで2年以上かかりました。
この約2年間は私にとって、苦難の道以上の何物でもありませんでした。

オーナー本人にも伝えましたが、辞める理由の半分がオーナーへの不信であり、残り半分が煙草の煙でした。
鼻の調子が徐々に悪化していき、タバコの煙が耐えられないようになっていったのです。

当時から、タバコ族は肩身が狭くなっていっていましたが、麻雀店は最後の聖地みたいな状況でした。
ヘビースモーカー達の安息の地でした。

いるだけでからだ全身が真っ黄色になりそうな中で、最低1日16時間、時に20時間を超える年中無休、店員も無休という環境に私の身体は完全に拒否反応を示していました。

私は最後の2年間は、タバコの煙による呼吸困難や鼻づまり、頭痛等あまりの苦しさに耐えられず、私が不在でも大丈夫な時に店の外に抜け出して、誰も通らないような通路に30分とか、時に1、2時間しゃがみこんでしまうことが毎日のようになりました。

従業員もオーナーも誰もが知っているが誰も何も言わない暗黙の了解になっていました。
私の体調の限界は誰もが見て取れたでしょう。私は毎日、おしぼりかハンカチで口元を押さえながら麻雀していました。

私はそんな中で、オーナーが私の隣でひたすらタバコを吸い続け、時に私の顔に吹き掛けた瞬間をどうしても忘れることができません。
ブチ切れて殴りかかってしまうんではないかという衝動をひたすら抑えていました。

一方、オーナーの私に対するパワハラは日に日に強くなります。
私は辞めるまでは逆らわないと決めていたので、ただひたすら耐えていました。

同時に辞めた後の転職先がさっぱり見えず毎日が不安に襲われていました。
私はオーナーにダメ社員として13年間言われ続けていたので、私もそう信じこんでいたし、本当に自信がありませんでした。

さらには社交不安障害を抱えての転職を考えると、失敗することしか頭に浮かばないのです。
辞めることをひたすら望みながら、辞めた先には絶望的な状況しか思い浮かばないのです。

私は約2年間、寝る前に両手を合わせて祈りました。

タコ部屋なような八畳の部屋を寮と称して、2~4人が詰め込まれていたので、必ず誰かがいました。
私は皆が寝付くのを待って、布団の中で手を合わせました。

どうか私を天職に就かせて下さい、と。

何の神に祈ったのかは分かりませんが、ただ祈り続けました。

やがて、ふとある日思いつきました。
自分のことを洗い出そうと。

生まれてから今に至るまで、自分は何が好きで、何が得意で、何が苦手で、どんな時に夢中になるのか、どんな時心が動くのか、どんな時に感動したか。

約1週間ぐらいかけて、もうこれ以上は思い付かないというぐらい書き綴ったものは10数枚のメモとなりました。

私は、とある日、自分一人しか店のカウンターにいない暇な時に、カウンターの上を埋め尽くすかのようにそのメモを並べました。

ただじっと眺めました。
10分か2、30分かは分かりませんが、ただただ眺め続けました。

そうして、まるで天啓か何かのようにある言葉が浮かび上がりました。

「自分は弱い立場にある人のために生きている時、自分が自分らしく生きられるのではないか」と。

この日を境に私は動き始めました。

(明日に続く)

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