こんにちは。

勇気づけを理念に対人援助の仕事をしています佐藤と申します。

あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の当事者、回復者、治療者 として、あがり症に悩む全ての人のために、あがり症の仕組みや克服法、そして赤裸々な体験など、あがり症の全てを語っていきます。

社交不安障害(社会不安障害)は、それ単独での障害の方ももちろんいますが、他の精神疾患と併発することがままあります。

1992年のアメリカでの調査では、社交不安障害の33%の方がうつ病を併発していました。
しかも、うつに限らず、パニック障害、強迫性障害、双極性障害等、様々な疾患と併発します。

また、疾患名ではありませんが、引きこもりや不登校、AC(アダルトチルドレン)などの方々の中にも社交不安障害の方が結構います。

特に、引きこもりは当然と言えば当然です。
何せ、社交することが不安な障害なのですから、そりゃあ、社交しなきゃならない社会には出たくないですよね。

私も学生時代、引きこもり寸前のような生活をしていました。
あがり症がかなりきつい時期でしたから、学校はサボりまくりました。

人前で話さなきゃならないゼミなんて無理だったし、教科書を読むよう当てられる英語は6年かけてかろうじて取りました。
大学は6年半かけて卒業しました。

私は、福島県にある大学に通っていましたが、大学の構内には寮が三つあり、そのうちの如月寮と呼ばれる寮に住んでいました。

なので、寮生達は皆、普通は朝起きたら徒歩5分ぐらいの学部棟に向かうわけですが、私は違いました。
それとは反対の金谷川駅という田舎駅に向かいます。
駅から降りて構内に向かう学生たちの群れに孤軍奮闘で立ち向かうかのように、私と友人何人かは歩いていきました。

よく自虐的に話したものです。
「俺らって時代の波と逆方向に向かってるよな」などと。

行き先は、隣の南福島駅か福島駅の近くのパチンコ店でした。
博打が好きだったため、パチンコ、競馬、マージャン等、まさに博打漬けの学生時代でした。
世捨て人というかダメ人間でした。

そして、類は友を呼ぶというのは正に真実でした。
ダメ人間の周りにはダメ人間が集まってくるのです。(学生時代の友人たちよ、失礼~)
学校に行かないで留年しているような連中ばかりが、私の周りには集まってくるのでした。

私は、なぜか博才があり、なんとなくリーダーシップも発揮していたためか、私の部屋が溜まり場となりました。
部屋に鍵など掛けずに出入りは自由。
朝から晩までひっきりなしに人がいて、明かりが消えることなく騒がしい。
私の部屋は不夜城と呼ばれていました。

他にも、ホモに襲われ事件とか、私の部屋のあまりの汚さゆえに起こった事件とか、ネタの宝庫なので、去年、10数年ぶりに会った友人たちと飲んだ時は、私ネタだけでバカ話に花が咲きました。

友人たちは、どこそこ会社の取締役だ次長だなどとアンビリーバボーな役職について、会社の若い女の子を連れて来ていたので、私もいいカッコしたかったのですが、その望みは叶いませんでした。

「コイツ、ホモにやたらとモテて~、襲われたことあったよな~」
「キャー、うそ~」
「襲われたんじゃなくて、抱きつかれただけだっつーの」
「だから、それが襲われたって言うんだよ、ギャハハハー」
「キャー、ヤダ―、その後どうなったんですか~?」
「だから~(涙)」

「そういえば、冷蔵庫の中に何年も前の牛乳が入ってて、信じられない色のカビが生えてたよなー、ギャハハハー」
「キャー、キャー、ウッソ―、ありえなーい」
(涙)

・・・ボロクソでした。

まぁ、いっか。
久しぶりの馬鹿笑いの時間だったんで。

今、過去の私のことをチラッとでも話すと、皆さんビックリされます。
どうやら、まじめでいい人のように思われているようです。

どちらの私が本当なんでしょうかねぇ?
人間は多面的な生き物なのかもしれません。

ただ、ダメ人間達のリーダー的存在だった私は知っていました。
その姿が仮面に過ぎないということを。

仮面の下の私は、あがり症の苦しみでパンパンに腫れあがっていたのです。

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