こんにちは。

勇気づけを理念に対人援助の仕事をしています佐藤と申します。

あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の当事者、回復者、治療者 として、あがり症に悩む全ての人のために、あがり症の仕組みや克服法、そして赤裸々な体験など、あがり症の全てを語っていきます。


私はずっと産経新聞を購読しています。

ちょうど10年ほど前だったでしょうか。
購読者の投稿欄に書かれていたものが目に留まりました。

そこには、たしか、今時の女子高校生が、美術館でつまらないなどと言ってキャッキャと騒がしく見ていたようなことが書かれていました。



それを見たボランティアの案内人が言いました。

「お願いだからあれだけは見て言って」と。

 

 

不承不承、その女子高校生たちは、その指差された展示物の前に行きました。

すると、急に静かになり、やがて一人がすすり泣くや否や全員が泣き出したというのです。

それは、ほとんどひらがなで書かれた、とある詩でした。

以下になります。

 

 

 

            「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」

 ごめんなさいね おかあさん

 

 ごめんなさいね おかあさん

 ぼくが生まれて ごめんなさい

 ぼくを背負う かあさんの

 細いうなじに ぼくはいう

 ぼくさえ 生まれなかったら

 かあさんの しらがもなかったろうね

 大きくなった このぼくを

 背負って歩く 悲しさも

 「かたわな子だね」とふりかえる

 つめたい視線に 泣くことも

 ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん

 ありがとう おかあさん

 おかあさんが いるかぎり

 ぼくは生きていくのです

 脳性マヒを 生きていく

 やさしさこそが 大切で

 悲しさこそが 美しい

 そんな 人の生き方を

 教えてくれた おかあさん

 おかあさん

 あなたがそこに いるかぎり

 (向野幾世著 『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』より)




これは、やっちゃんと呼ばれる脳性マヒの子が、養護学校の教員、向野氏と合作で作った詩です。


やっちゃんは、手も足も体も自由に動かせません。

言葉も言えません。


そんな子がどうやってこの詩を作ったのか?


それは、目をつぶったらイエス、ベーッと舌を出したらノー。

それだけを手掛かりに、向野氏と共に膨大な時間を掛けて作った詩なのです。


私は、この詩が書かれていた記事をすぐに切り取りました。

ちょっと年季が入っていますが、下の写真です。

久しぶりに表に出しました。

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

私は思うのです。

感動というものは生きるうえでの原動力になるのではないかと。

 

 

人が生きていく上で、困難を避けて生きられる人は世に一人としていません。

そして困難を前に時として立ちすくみます。

 

あがり症の方にとっては、ここが瀬戸際、ここが分水嶺、ここが清水の舞台といった場面が必ずや来ます。

 

困難に立ち向かうには、勇気が必要です。
その勇気はどうやって
手に入れられるのか?

 

その一つは、人とのつながり、すなわちアルフレッド・アドラーが言う所の共同体感覚を持つこと。

 

そして次に、価値観。

それは、人生で自分自身がどうありたいのか、どう生きたいのかということ。

 

そして、最後に感動、情熱、希望。

 

 

これら三つが、困難に立ち向かうためのエネルギーとなるに違いありません。

つまりは、この三つを育み、保っていくことこそが大切なのです。

 

 

 

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