奇跡は既に起こっている
ミラクルクエスチョンという質問法があります。
今日、私はある若い女性の方にカウンセリングでそれを行ってきました。
ミラクルという名の通り、奇跡が起こった時のことを質問していきます。
それは、次のように始まります。
「ある晩、あなたに奇跡が起きて、
あなたの抱えている問題が全て解消されたとします。
でも、あなたは奇跡が起きたことを知りません。
目が覚めて、1日が始まります。
あなたは、どんなことで、奇跡が起きたことに気づくでしょうか?」
クライエントの女性は、ややあって答え始めました。
こちらの質問に訥々と語り始めたのです。
朝起きても奇跡が起こったことに気付きません。
食事をしても顔を洗っても気付きません。
職場に行って人と会話した時に初めて気づいたのです。
彼女は対人関係のことで悩んでいました。
人との関わりの悩みゆえに、それが起こっている場所でこそ奇跡が起こったのでした。
そして彼女は、人との関わりやより良い人間関係を強く望んでいるからこそ悩んでいたのです。悩みは生きる欲望の裏面です。
ゆえに悩みを消そうとする必要はありません。
なぜなら悩みが消えたらその裏面の欲望までなくなってしまうのです。
推進力を失うのです。
ですから、悩みはそのままに本来自分がどうありたいかに沿って行動していくことが大切となります。
その方の持つ生きる欲望を、例え悩みはあっても「あるがままに」発揮させていくことが解決の方向へと向かわせていきます。
そして今回はミラクルクエスチョンにより悩みがなくなったその人の様子を克明に聞いていきました。
「あなたは何と言ったのですか?」
「すると相手は?」
「相手はあなたのどんな違いに気付きますか?」
普段あまり想像もしたことがないことを思い浮かべるのですから、彼女はゆっくりと絞り出すように答えていきます。
奇跡が起こった一日をまるでそのシーンを映像で見ているかのように話す。
この工程こそが治癒的なのです。
何故なら、人がありありと細部まで克明に思い浮かべることができることは実現する可能性が高いからです。
彼女は40~50分ぐらいかけて奇跡の一日を語りました。
これからは奇跡の一日にあった出来事を日常の中で探していきます。
そして再現させていきます。
奇跡のかけらは日常の中に散らばっているのです。
そして奇跡は起こるでしょう。
これから彼女は宝探しの旅に出るのです。
日記療法
森田療法の中に日記療法というものがあります。
読んで字のごとく、日記を通してカウンセリングを行うものですが、私はこの療法を高く評価しており、なかなか行けない遠くの方に対してこの療法を勧めています。
やり方はいろいろですが、基本的にはクライエントが大体1ページ以内で一日分の出来事や感想などを書き、それに対してカウンセラーが赤字で要所要所にコメントを書くというものです。
社交不安障害の方々は、押しなべて内向的な方が多いです(そうでない個性的なや活発な方もそれはそれでいますが・・)。
ただし、内向的というのはあくまで表面的なものです。
その内面には高い自尊心や負けず嫌いで意地っぱりな所がありがちです。
そもそも内向的なだけでは社交不安障害にはなりません。
こんな情けないことがあってはならないと意地を張り続けるからこそ社交不安障害になるのです。なんともまぁ、皮肉な障害なんでしょうか。
それで、対面で話をするとポツポツとしか話さない社交不安障害の方が、いざ日記でのカウンセリングを始めると止めどもない勢いで自分の内面を吐露されることがままあります。
それ自体、つまり自分の内面を書くことそのものが一定の浄化作用を持ちます。
また、内面を文章化することは自分の思いや考えを整理する手助けとなり、さらには後から振り返ることができます。
さらにはカウンセラーからの助言や質問も、言葉だけだと記憶からこぼれていきがちなことが、エッセンスを失わずに何度でも見返すことができるのです。
メールカウンセリングももちろんやりますが、カウンセラーとクライエントの直筆によるやり取りは、字の勢い、字の強さ、字の書き方それぞれが生の感情を映し出すものであり、日記療法だからこそできるものだと思っています。
森田療法家はこの日記療法を当然森田療法でやりますが、私は森田療法ももちろん使いますがそれ以外の療法や技法など役に立つことは何でも入れていきます。
なぜなら全てはあがり症に悩む全ての人達のために。