可能性を信じるということ
あがり症(対人恐怖症)の仕組みとして、あがらないようにと思えば思うほどあがってしまう。
また、あがらないようにあれやこれやと対処すればするほど却ってあがってしまう、という皮肉とも言えるような構造があります。これを精神交互作用と言います。
また、こういった精神交互作用の精神構造を持たない方でも、そもそもが対人でのコミュニケーションスキルや社会性のスキルが身に付いてない場合、人と接するのが苦手になったり、人前でのパフォーマンスはそう簡単にはうまくできないですよね。
引きこもりや不登校の例に多いかもしれません。
こういった方は精神療法やカウンセリングというよりむしろ、社会的スキルを身につけて自信をつけていくことで、対人恐怖的心性が改善していくことがあります。
こういった方々向けのワークショップとしてSST(社会技能訓練)というものがあります。
その名の通り、社会的技能を身に付けることを目的にした概ね10人以下のグループワークで、実際のシーンを想定したロールプレイなどを行います。
守られた環境で、同じような課題を持つ方々と練習を重ねることで、徐々にスキルアップしていきます。
私のところでやってるSSTに参加している方で、最初は見学が目一杯で言葉を発することもなかなかできなかったのが、やがて手をあげて発言できるようになった姿などは感動的でした。改めて人の可能性というものを思い知らされました。
日本における第一級のセラピストの東豊先生は言っていました。
問題などない。
セラピストが問題と思えば問題になる、と。
要は、支援者が目の前に来た利用者なりクライエントなりが回復できる、より良くなっていける可能性を信じられるかどうか、それが相手の回復に大きく左右するのです。
私も一歩でもその高みに近付いていきたいものです。
醜形恐怖症
対人恐怖症には人前恐怖、赤面恐怖、視線恐怖、表情恐怖、自己臭恐怖、加害恐怖、等々があります。
そしてその中に、醜形恐怖(醜貌恐怖)というものあります。
これは自分の外見を醜いとして極端に気にしたり、他人が自分を避けたりするのを心配する恐怖症です。
以前、私の所に来た高2の女の子はマスクを限界まで広げて両目しか出ないように顔全体を覆っていました。
そうでなくては表に出られないというのです。
これまでは担任の先生の前でしかマスクを外したことがないとのことでした。
そして、初回面談でいろいろ話を聞いていると、やがておもむろに私の前でマスクを外してくれました。
なんのことはない、普通の女の子でした。
私はその子に、もったいないと強く話したのを覚えています。
そして、昨日でした。
あるカウンセラーの先生のセミナーに参加した時のことです。
その先生が、ある芸能人女優をカウンセリングした時の話をしてくれました。
その女優は、自分が映ったビデオ等の映像は見ることができるのらしいですが、なんと、家では自分の姿をまともに鏡で見ることができないようなのです。
まさに醜形恐怖です。
なんで芸能人になれるぐらいの美貌を持っている人が、自分の外見をまともに見ることができないくらい恐怖を感じてしまうのか。
我々一般ピープルはがっかりするような顔を毎日飽きもせず見なければならないというのに。
その場にたまたま業界関係者がいたのですが、どうやら芸能界には結構醜形恐怖の人がいるらしいんです。
芸能人クラスになると次元の違う世界での些細な優劣を過剰に感じてしまうんですかね。
う~ん、私も一回そんな悩みを持ってみたい・・・