他人と過去は変えられない

「他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と未来」(エリック・バーン)

文明社会は、合理性や効率の追求により進化発展してきましたが、一方、人間の「こころ」は、時に非合理的かつ非生産的なことを古来から繰り返してきました。

 

特に、自分自身が困難の渦中にいる時、それに陥りやすくなります。

「あの人さえいなければ・・・」

「あいつのせいで・・・」

「上司が・・・」

ここには自分の視点がありません。

あるいは、

「また、やってしまった、俺はダメなやつだ・・・」

「あんなことさえなければ・・・」

「もっと勉強してたら・・・」

ここには未来の視点がありません。

 

これらは誰しもが陥りがちな思考ですが、もし、これらの視点に立ち行動し続けた時、成長は止まってしまうでしょう。

なぜなら他人と過去という変えられないものを変えようとしているからです。

変えるべきものは他人ではなく、まず自分であり、過去ではなく未来、すなわち今ここでの行動です。

あがり症の方も同様です。

 

他人にどう思われたかばかりを考え、人前で失敗した過去ばかり振り返ることで、未来に向けての今ここでの自分の行動への意識が欠けているのです。

今ここでの行動とは何か?

それは、あがろうがあがるまいが、今ここでなすべきことをやるだけなのです。

文章を読み上げるのならば、緊張しようがしまいが一語一語しっかり読み上げる。

お客様に商品の説明をしなければならないのなら、あがろうがなんだろうが理解してくれるようしっかり説明する。

スピーチをしなければならないのなら、たとえ声が震えてしまっても相手に伝わったかどうか、そこに意識を集中する。

今、ここでのあなたのなすべき目的は何なのか?

その目的に集中できた時、あがり症が治るのではなく、あがり症を忘れられる瞬間があったことに気づくでしょう。

 

アイドル卒業

私は良く言われます。あがり症だなんてとてもそうは思えない、と。

確かに一番大変だった時期に比べたら今は月とスッポンで、人前で話す時、全く緊張しないこともあります。

 

一方、超緊張することもいまだにあります。

けれど見てる側からすれば、私があがっていようがいまいが大した違いはないんですね。

表面的にはさっぱりわからないし、ちょっと引っかかったからといって、だから何?といった所です。

 

要は、自分が思うほど人は自分のことを見ていないんですね。

全くもって、こちら側が勝手に作りだした幻影なのかもしれません。

それなのにどうしても光を当てたがるんです。

 

まるでアイドルか何かのように一身にスポットライトを浴びて、自分の一挙手一動足を見られている。

そんな気がしてならないんです。

誰も見ちゃいないっちゅーの。

あー、我ながら勘違い甚だしい。

 

そして自分にはスポットライトですが、聴衆にはサーチライトを当てます。

あがり症の方は自分の心に執着するだけでなく、他者の否定的評価のしぐさを徹底的に探すんです。

あくびしている。

怪訝そうな顔をしている。

かわいそうな眼をして見ている。

軽蔑した目で見ている。

社交場面で得られた情報を、自分が恐れていることと一致するようにくまなくサーチライトで探し出すのです。

しかも執拗なまでに。

もうほとんど病気。

しかも無から有を作り出している。

そろそろスポットライトを浴びるアイドルは卒業しませんか?

素の自分で生きてみたいとは思いませんか?