私は、以前約3年間、話し方教室に通いました。

そこには様々な方々が集まっていました。

学校の先生、会社の社長、大企業の管理職、主婦、学生、医者、ニート、税理士、等々。

多様な職種や立場の方々だけに話す内容も多種多様になります。

人生に深みを感じさせる話もあれば、政治の話、時事ネタ、家庭での一コマ、お笑い芸人のような話、感動する話、等々。

私は、他の生徒の話を聞いたり、あるいは自分の話をしていく中で、私なりに一つの核心を掴みました。

それは、いくら弁舌さわやかでも表面的な話、あるいは評論的な話は、聴衆の耳にはその時だけしか残らないということです。

余韻も残さずサラーッと通り過ぎていくのです。

しかし、あまり話し方として上手でない話でも、その人が身を切るように思いを込めて語る話は聴衆の心をぐっと掴むのです。

それまで、シラーっとしてつまらなそうに聞いていた人たちが、私がフラれた時の話をし始めた時には、身を乗り出すようにして、目をキラキラさせて話を聞き入るのです。

おい、そこかよと思ったものです。

そして、私が、スピーチコンテストで優勝した時の話は、私が最も話したくない話でした。

それは、私の赤裸々なあがり症体験記でした。

長年、人に知られてはならないと必死に隠し続けていた、正にその話を身を捧げだすようにして話したのです。

話すには気力と覚悟がいる話でした。

最も話したくない話こそが、聞き手の心を最も掴む話となるのだ。

私は、そう実感しました。

そして気づきました。

私が最も話したくない話こそ、実は、私が最も話したかったことなのだと。

伝えたかったことなのだと。

これは誰にでもあることなのではないでしょうか?

心に秘めた思い、体験、つらい出来事、そういったものは、そう簡単には話すわけにはいかないし、普段は意識化あるいは無意識化に抑えこまれているものの、実は解放される機会を探しているのです。

そして、更に気付きました。

人生で最も大切なことは、実は自分の最も恐れているものの側にあるのではないかと。

なるほど、あがり症の人にとっては、それはあがり症そのものかもしれない。

しかし、それに限らず、親や子供との関係に悩む人には親子関係が、上司との関係に悩む人にはその関係が、正に恐れていることや困難を感じていること、そういったものの側に実はその人にとっての人生の宝が眠っているのではないしょうか。

全ては小さな一歩から始まる。

まずは、自分が恐れていること、避けていること、困難を感じること、そういったことをありのままに見つめてみませんか?