Aさんは自分の家の庭がお気に入りでした。庭には、色とりどりの花や草が生え、道行く人も足を止めて眺めるほどでした。

ある日、ふと庭の片隅に珍しい草が生えていることに気がつきました。

なんだろう?

Aさんの心に微かな不安がよぎりました。
調べてみると、不安が的中していることに気がつきました。

その草は毒草でした。

Aさんは自分の美しい庭が汚されるような気がしました。

見ないようにしましたが、見ないようにすればするほど余計に気になります。

たった一本の草のことを気にするなと自分に言い聞かせ庭全体を見ようとしましたが、どうしても一本の毒草に目がいきます。

やがて、道行く人の表情を見ては、自分の庭の汚点に気がつかれたのではないかと怯えるようになりました。

そして、Aさんは決断しました。
庭を囲むように人の背丈より高い壁を作ったのです。

こうして庭は外界から遮断されてしまいました。

何かと似ていないでしょうか?
庭を自分自身、毒草を緊張すること、とします。

あがり症の方は、自分自身にたくさん美しい花や草が生えているのにもかかわず、たった一本の毒草にこだわります。

それは白黒思考のあがり症の人にとっての不都合な真実なのです。

あってはならないことなのです。

それゆえ、その不都合な真実を亡きものにしようと、あれやこれやと計らい事をします。

しかし、それはかえって仇となりたった一本の毒草が自分の全てを占めるようになっていくのです。

やがて、毒草を、つまりあがっていることを人に見られることのないよう、外界との関わりを遮断していくのです。

仏教に十界互具という言葉があります。
これは一人の人間の中に善も悪も、強さも弱さも、清きも醜きも、何もかもが本来備わっているということを意味してます。

わば、様々な毒草も当然に自分の中に持っているものなのです。

あがっている自分を否定せず、認め、そして受け入れていくことが、あがり症の囚われから解放され、自然体の自分自身が発揮されることにつながっていくのです。