自分のあり方は自分で決められる

私は17歳のころにあがり症を発症し、以後約20年ぐらいかけて克服の道をたどってきました。

転機となったのは、30歳のころに行った山形県の心療内科の医師から森田療法のことを紹介されたことでした。

私はその日すぐに山形市内の本屋に行き、森田療法の本を買いました。
強烈なまでの衝撃を受けました。

そこには、まるで私のことを全て知っているかのように私のことが書かれていました。私がその本の強烈な読後感から選んだ私の道は恐怖突入、ただそれだけでした。

 

それまでの自分は、あがるような場面では不安に襲われ恐怖におののきながら、行動は回避と計らいごとという臆病な選択をしてきました。

そして、結果失敗して自信喪失と失望を繰り返してきました。

一番ダメパターンですね。

そして、それからは、不安に襲われ恐怖におののくことは全く変わらないのですが、行動を変えました。恐れおののく自分の首根っこをつかんで恐怖場面に直面させたのです。

これが森田療法の創始者、森田正馬が言う「感情は意志の自由にならないが行動は意志の自由になる」です。

人はいかなる事が起ころうとも、起こった出来事に対する自分のあり方は自分で決められるのです。

こうして私は何度も何度も、何度も何度も、恐怖突入することで、まるで薄皮を重ねるようにして、ふと気付いたらかつての自分とは違う自分がそこにいました。

これが私の回復の道でした。

最も荒療治と言えるかもしれません。

行動療法ではフラッディングと言います。

 

今、私は人により様々な回復の道が回復があることを知っていますので、もっと入りやすい選択肢をクライエントの方に提案するかもしれません。

仮にこのやり方を勧める場合はクライエントの方の動機付けを高め、その意志を念入りに問うでしょう。

ただ、今日このブログでお伝えしたいことは次の言葉に集約されます。

アウシュビッツから奇跡的に生き延びた精神科医のヴィクトール・フランクルの言葉です。

「あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である」

あなたはこのままの人生で良いのですか?

あなたはどうありたいのですか?

どう生きたいのですか?

 

「治らない」という決断

森田療法と出会ったことがきっかけとなり、私の人生は変わっていきました。

私は、あがり症を克服していく過程の中で、将来的には同じように苦しんでいる方々の為に何らかの貢献ができないかとずっと思っていました。

そして、そういった場を求めて5年ほど前、生活の発見会という自助グループに参加しました。

(生活の発見会とは、対人恐怖症、不安障害、強迫性障害など、いわゆる森田神経症と呼ばれる症状を抱えている方々が、同じような悩みを持ちながらも支え合い、助け合いながら成長していく会のことで、40年以上の歴史がある全国的に広がりを持った自助グループのことです。)

 

その初めての生活の発見会の中で、4~5人のグループになり、たしかそれぞれの体験や思いを順番に語っていきました。

その中で、ある50~60歳位ぐらいの男性の方が仰っていたことは、人と一緒にいたり人と話すことがつらいということでした。

そのため、例えば家の玄関を出る時、知り合いがの姿が見えるとすぐさま玄関を閉めて通り過ぎるのを待って、誰も知っている人がいないのを確かめてから玄関を出る。

あるいは、この会が終わって帰る時、誰かと一緒に並んで話しながら帰るのがつらいのでタイミングを見計らって帰っている。

そういったことをお話しされました。

そして、私の番です。

私は思いの丈を話しました。

 

自分が回復者であること、そして同じように苦しんでいる方々の為に少しでも役に立てるのなら自分の経験を語りたい、と。

今、考えるとおこがましいと言うかなんと言うか赤面ものですが、率直な思いを語りました。

その時でした。

その50~60歳の男性の方が言いました。

「信じられない」

そして続けて言いました。

 

「あがり症が治るということがあるのか。

私はいろんな事をやってきた。

いろいろ試したがどうしても治らなかった。

そうしてこの年になった。

残念だがおそらく一生治らないであろう」

私は、ただ黙って聞いていました。

複雑な思いが交錯しました。

ただ、感じたのは確かにこの方は治らないであろうと。

なぜなら、私は勝負の世界に長年身を置いてきたので、言葉の重みを知っていたからです。弱気な思いを言葉に出すと結果は得てしてそのような結果になりがちです。

 

だからボクサーなど格闘家は試合の直前、不安な思いを打ち消すかのように、俺は強い、などとしきりに繰り返すのです。

発した言葉というものは、我々が想像する以上に重いものです。

その男性は、「治ることは信じられない、私は治らないだろう」と言いました。

思いは実現します。その思いが強ければ強いほど。

言葉も同様です。

発した言葉は実現化します。

その男性は「信じられない」のではなく「信じない」という決断をしただけなのです。

「治らないだろう」ではなく「治らない」という決断をしただけなのです。

 

私は毎日、様々な思いを抱える方や、その親御さんに会っています。

その中で、相手に発する言葉にはすごく気を使っています。

私は抜けている所があるので、突っ込まれるようなことを言ったりドジなことをすることがありますが、相手の勇気をくじくような言葉だけは断じて吐かないようにしています。

そして確信していることがあります。

それは、様々な心理療法がある中で技法よりも何よりも大事なことは、希望を与えること、そして勇気を与えること、そしてそれができる支援者としての暖かみであり、あり方だということです。