「あるがまま」に目的本位で生きる
ビートルズのLet It Be
今年はアナと雪の女王の「ありのままで」が流行りましたね。
昔から「あるがままに」とか、「ありのままの自分で」などと良く言われますが、なんだかぼんやりとしてつかめない、あるいはそうは言うけどそう簡単にはいかないよなぁというのが実状ではないでしょうか。
実際、あがり症の方々はその対極にいます。
何故なら、あがっている自分を「あるがままに」受け入れられず断固として全否定するし、あるいはあがっている「ありのままの自分」を決して人には悟られないように振る舞おうとするからです。
果たしてこれが本人の望む生き方なのでしょうか?
決してそんなことはないはずです。
あなたはどういう生き方をしたいのですか?
あなたの望むものは何?
あなたはどうなりたいのですか?
本来、話すこと、伝えることは手段にすぎません。
人が生きていく上で人と話すこと、人に伝えることは必要不可欠であり、それを通して自分の人生を築いていくのです。
話すという手段を使って生きるという目的を果たしていくのです。
ところがあがり症の方は、あがらずに喋ろう、緊張していることがばれずに話そうとして本来手段にすぎないことが目的そのものになっているのです。
これを手段の目的化と言います。
では、どうすれば良いか?
まず最初に断言しておきますが、緊張や恐怖、不安といったものをなくそうということは不可能です。
本来、それは人に備わった危険を察知する能力として当然に持っているものだからです。
あがり症の方はそれが人より過剰になっているだけなのです。
ただ、緊張することを忘れることはできます。
その鍵が「あるがまま」という姿勢にあるのです。
不安や緊張を否定し排除しようとするのではなく、不安や緊張はそのままに、その場の目的である「人に伝える」ということに集中することができた時、いつの間にか感情の波は緩やかに収まっていくのです。
これが「あるがまま」の姿勢です。
これが積み重なっていった時、あがり症が治るのではなくあがり症を忘れることができるのです。
これがあがり症の克服像です。
あがらずに喋る、緊張することがばれずに喋る、それがあなたの本来の目的ですか?
あなたはどういう生き方をしたいのですか?
あなたの望むものは何?
あなたはどうなりたいのですか?
イメージは実現する
スポーツの世界ではイメージトレーニングのことがしきりに強調されます。
私も以前、バスケットボールをやっていましたが、ドリブルやシュートなどイメージできる技や動きは実際やってもできるのですが、イメージがおぼつかない技や動きはどうしてもうまくいかなかった記憶があります。
特に右利きだったので、左手を使った時の細かいドリブルの動きはイメージすらぎこちなく、実際もまたイメージ通りでした。
では、イメージとはなんぞやですが、それは繰り返し何度も何度も練習することの賜物なんですね。
言ってしまえばそれまでですが、真実とはシンプルなものです。
それはイチローや世界の王さんも例外ではありません。
練習量こそ全てです。
京セラやKDDIの創業者であり日本航空の名誉会長である稲森和夫氏は、日本屈指の経営者かつ人格者としてその名を馳せています。
その稲森氏は次のように言っています。
「すみずみまで明瞭にイメージできたことは間違いなく成就するのです。すなわち見えるものはできるし、見えないものはできない。したがってこうありたいと願ったなら、あとはすさまじいばかりの強さでその思いを凝縮して、強烈な願望へと高め、成功のイメージが克明に目の前に見えるところまで持っていくことが大切」であると。
振り返ってみて、あがり症の方々はどうでしょうか?
人前で話す前に、自分が恐れていることが起こったり失敗するのではないかと何度も何度も頭の中で恐れているシーンをイメージします。
それは尋常ではないほどの執拗さで続けられます。
話す直前にはそれが世界のすべてになっています。
そして、終わった後はどうか?
終わった後は、頭の中でテープを巻き戻して、ひたすらに自分のあら探しです。あそこで声が震えてしまった。
みんなが自分のことを様子がおかしいと見ていた。
何度も何度もテープを巻き戻して悪い所探しです。
振り返る力はプロアスリート顔負けです。
こうしてすみずみまで明瞭にあがっている自分をイメージすることでそれは間違いなく成就するのです。
恐れれば恐れるほどそれが実現してしまう。
なんと皮肉なことでしょう。
ではどうすれば良いか?
その一つが、「あるがままに」、そして目的本位で生きることです。
そしてもう一つが成功のイメージ作りです。
真実はシンプルなものです。
失敗のイメージをひたすらにしてきたのならば、それを逆に成功のイメージ作りをしていけば良いのです。
ただ、まるでパブロフの犬のように何度も何度も繰り返すことによって習慣づけられたことは、そうやすやすとは変わりません。
自分でそれができるならばそれに越したことはありませんが、より望ましいのは伴走者の存在と効果的な問いです。
それは以下のような問いで構成されます。
もし奇跡が起こって問題の全てが解決したとしたらどうなっていますか?
解決した時の違いは今とどう違いますか?
あなたの周りの人はあなたが変わったことにどんなことから気づきますか?
このある種の良い妄想作りを膨らませることを日々意識して行っていくことで、ふと気づいたらこれまでの自分と違う自分に出会うことでしょう。